弱いときは貢献したいとき
心や体が弱いとき
元気だった人が
弱ったとき
なぜだか
“自分なんて…”と思い始める。
その人自身がどう思おうと
その人の価値は存在は
変わらないのに。
先日、癌を2度患った方と話していて
思い出した患者さんがいる。
私は病院薬剤師として病院で
主に癌を患った方たちと関わってきた。
60代前半のNちゃん。
旦那さんと本当に仲良しで
病棟のみんなに羨ましがられていて
もれなく私も羨ましがっていたし
見ていて嬉しかった。
公私混同の私はNちゃんが大好きで
彼女と看護師と3人で
ウクレレを習い始めるくらい仲良しに♪
3年前、私がその病院を辞める年の夏。
旦那さんが亡くなる。
そして、その後、彼女に転移が見つかる。
時間外のシーンとした病院のホールで泣き始めた彼女を抱きしめたのを覚えている。
病院を辞めた後に
コーチングを学び始めた私。
“Nちゃんがスッキリしたらいいな”と思って
「練習をしたいからコーチング受けてくれない?」と誘うと快く了解してくれたNちゃん。
“弱っている”彼女がテーマとして出すのは
きっと自分自身のことだろうと思っていた。
でも実際にNちゃんが出したテーマは
“大好きな夫婦がいて旦那さんが癌の末期なんだけど奥さんが何をきたらいいんだろう?と悩んでいる。
私はその2人に何ができるんだろう?”
というものだった。
本当に弱くなってる人は
弱い自分を見たり感じたり出来ない。
それよりかは
何か自分が貢献できるヒトモノコトがあれば
そっちの自分を見たり感じたりしたい。
“人が幸福を感じる3条件” byアドラー
自分が好き
人は信頼できる
私は貢献できる
人は弱いとき
自分なんか…と
自分が嫌いになることがある。
弱いとき
貢献すると
自分が好きが増えてくる。
心や体が弱ったとき
人は貢献することで
元気になれる時がある。
弱った人だからといって
可哀想な人でも
貢献できない人でもない。
目の前に弱った人がいたら頼ろう。
頼ることは
目の前の弱った人の貢献となる。
それは
弱った人が
弱った自分を好きになる1つの方法。
弱いときは貢献したいとき。
目の前の心や体が弱っている人は
貢献できる力があるんです。
心地よい人生のきっかけとなりますように。
0コメント