感情がどうであろうと存在価値は変わらない
桜が咲いて散っていく。
桜は咲いていなくても咲いていても桜。
春でも冬でも桜。
桜はどう在っても桜なのです。
桜と同じように
人に対しても考えてみると…
私はAさんが好き。
だから
Aさんが落ちこもうと喜ぼうと
変わらず好き。
私はBさんが苦手。
だから
Bさんが落ちこもうと喜ぼうと
変わらず苦手。
私はCさんは好きでも苦手でもない。
だから
Cさんが落ちこもうと喜ぼうと
どうでもいい。興味ない。
私にとって
相手がどんな感情であろうとも
相手の存在価値は変わらない。
だって
私にとっては
そもそも
Aさんはお気に入りのAさん
Bさんは苦手なBさん
Cさんはどうでもいい
のだから。
だから
あなたが色々あって
落ちこもうと倒れようと
あなたの存在価値はなんら変わらない。
あなたが落ち込んだくらいで倒れたくらいで
あなたの存在価値を変える人とは
付き合わなくていい。
そんな人要らない。
あなたがどんな感情を持とうとも
あなたという存在価値は変わらない。
桜が落ちこもうと元気でいようと
咲かずにいようと咲き誇っていよう
私たちは桜は桜だと思う。
桜がどんな状態であっても
桜の存在価値は変わらない。
だから
どんな感情に自分があっても
あなたの存在価値は変わらない。
あなたはただあなただということ。
そして
相手はあなたの感情がどうであろうと
その存在価値は相手のなかで変わらない。
同じように
目の前にいる人がどんな感情であったとしても
あなたにとって目の前の人は感情によらず同じ存在価値。
感情が落ちたからといって
倒れたからといって
あなたの相手に対する存在価値は元からあるがまま。
桜が苦手な人はどんな桜でも苦手。
桜がお気に入りな人はどんな桜でもお気に入り。
そんなものなのです。
(桜に向かってルンルンで歩む私♪)
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